イエス様のお母さんのマリア様。クリスマスの聖劇の時には、子どもたち、特に女の子たちがマリア様の役をしたがります。優しくて、美しくて、信仰深い女の子。神様から選ばれるだけあって、思いつくだけの理想を、マリア様に投影します。聖書も、マリア様を大切に記しています。けれども、あまり立派な理想は、聖書には記されていません。聖書が記すマリア様は、ナザレの村で生活する、ごく普通の少女です。きっと、畑仕事や家事で毎日忙しく過ごしていたのでしょう。彼女がほかの人とは違う唯一の点は、神様の御子の母親となったことだけでした。それ以外は、全く普通の少女、庶民の一人だったのです。言い換えると、神様は、あえてごく普通の少女を選ばれたのです。神様の救いのために必要だったのは、超人的な力を持つ人や、誰にもかなわぬ信仰を持つような人ではなく、ごく普通の人だったのです。ごく普通の人が、小さなことに喜び、様々な課題に悩み苦しみ、そしてささやかな暮らしの中で、神様にお祈りを捧げ、隣人を愛し、希望をもって、日々生きてゆく中に、神様は偉大な救いの業を行おうとされたのです。マリア様の生涯は、一庶民の枠を越えるものではありませんでした。一人の庶民として、懸命に、自分に与えられた神様からの使命を受け止め、自分にできる限りの愛を行い、目の前の壁がどれほど大きくても希望を抱き続けたのです。庶民の小さな信仰こそが、人類の救いにつながるのです。
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