「災い転じて福となす」という言葉があります。私たちを苦しめ悩ますような災いが、私たちを喜ばせる福へと変わる、というを表しています。本当にそうなってほしいです。世の中には大きく深い課題がたくさんありますが、それら一つ一つが結果的に私たちを生かし、支えるものになることを、心から願い、祈ります。この言葉は、大変前向きな言葉です。けれど放っておいて勝手に実現するものではありません。私たちの主体的なかかわりが必要なのです。災いを災いだけで終わらせないために、具体的に工夫をしたり、改良をしたりしてこそ、災いは福となります。また、同じ出来事でも、心の中での捉えようで、その評価は全く変わります。不平不満を抱きながらだと、何事についても災いになるでしょし、災いの中にも今後につながるものを見つけ出したり、自分の身を振り返る機会として受け止めた時には、今の災いは今後の積極的な意味を持つものとなるでしょう。神様にとっては、全てが「福が転じて災いとなった」ことばかりなのかもしれません。神様はすべてのものを善い物として創造したのに、人間の罪が、状況を悪化させたのです。けれども神様は諦められませんでした。人々に悔い改めの教えを宣べ、預言者を送り、そして御子イエス様をお遣わしになり、人びとに愛の道を示されたのです。私たちも、愛の道を歩みながら、目の前の災いを、少しでも福に転じてゆきたいと思います。
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