2020年10月19日月曜日

希望は私たちを欺くことがありません。私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。(ローマ5:1-11)

本日の聖書箇所の直前に、次のように記されています。「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生む。」希望は苦難から生まれていると記されています。様々な経験の中で、自分が経験した苦難が練られて、希望へと変わるのだそうです。なるほど、そうかもしれません。苦労を重ねてこられた方の語る言葉は、深くて重いです。そしてそのような方の多くが、穏やかな笑顔と共に、前向きな思いを抱いておられるのです。様々な苦労を経験した末につかんだ希望ですから、きっと、そう簡単には折れないのでしょう。私たちは希望を求めています。けれども希望は、棚ボタ式に、簡単に手に入るものではないのでしょう。ましてや誰かから与えられるものでもないのでしょう。希望は私たちが日々懸命に生きる中で、手に入れてゆくものなのでしょう。じっくりと時間を掛け、苦労してつかんだ希望は、決して簡単には折れません。


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