2020年10月26日月曜日

パウロは記す。「キリスト・イエスによって与えられる信仰と愛をもって、私から聞いた健全な言葉を手本としなさい。あなたに委ねられている良い物を、私たちの内に住まわれる聖霊によって守りなさい。」(2テモテ1:6-14)

 多分、キリスト教の人間観は、「性善説」だと思います。人は善い物として生まれてきた、と考えていると思います。確かに、悪い人もいます。自分の心の中にも悪い思いがあります。けれども神様は、私たち人間を、良いものとして創ってくださり、イエス様は私たちに、悔い改めを教えてくださったのです。聖書は、私たちの内には聖霊が住んでいる、と記しています。本当でしょうか。私たちの中に神様の霊が居るとするならば、なぜ私たちは、もっといい人にならないのでしょうか。きっと聖霊は、私たちの自由を大切にしてくださっているのでしょう。私たちが自由な意思をもって、自由に行動することを、大切にしてくださっているのでしょう。私たちが、少しでも心を神様に向け、悔い改めるならば、いつでもすぐに、愛の行いをできるように、聖霊は私たちの内で待ち構えてくださっているのだと思います。


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