2020年12月15日火曜日

イエスは大声で言われた。「渇いている人は誰でも、私の所に来て飲みなさい。」 (ヨハネ7:37-44)

  「渇望」という言葉があります。のどが渇くかのように、何かを求める、という意味だと思います。特に、自分の手には届かないもの、自分の力ではどうしようもないものを求める時に、使います。それは何かというと、たとえば世界平和であり、正義であり、公正です。子どもの頃は、戦争のニュースを聞いたり、政治の不正の話を聞いたりすると、涙を流すくらい悔しく、「何とかならないものか」と思ったものでした。大人になると、涙を流すほど求めることは無くなりました。自分の力が及ばない経験を積みすぎて、諦めの境地に入ったのかもしれません。けれども心の底では、今も渇望しているのかもしれません。のどがカラカラに乾くかのように、平和や正義を求めているのかもしれません。イエス様は、私たちの渇きを癒したくて仕方ありません。渇望しているのにそれに気づいていない私たちに、少しでもイエス様の愛を分け与えたくて、私たちの心の扉をたたき続けてくださっています。イエス様の愛には希望が詰まっています。愛を求めましょう。