誠実に 吾峠呼世晴『鬼滅の刃』から
人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日目に復活することになっている。
( ルカ 9:22 )
ブームはまだまだ収まる様子はありません。米国ではアカデミー賞に推薦されようとするほどの勢いです。自粛期間中でも日本経済をけん引してきました。子どもたちのかばんには登場人物のマスコットがぶら下がり、マスクすら主人公の着物の柄だったします。先日、道を歩いていると子どもたちが、「枯葉の呼吸!」「百の型!」とか、主人公の技を自分流にどんどん増やして遊んでいました。
名作の条件は、様々な人々が様々な立場から楽しめる、というところにもあるのでしょう。主人公のカッコよさや主人公の妹の可愛さを好む人、必殺技とアクションを楽しむ人、「鬼」が闊歩する暗い雰囲気に惹かれる人、今まであまり取り上げられてこなかった「大正」という時代に興味を持つ人、自分も同じようなマンガを描きたい人、アニメ化、小説化された作品から導かれた人、様々な人々がこの作品に出合い、楽しんできました。
私も楽しみました。アニメを見て、原作を読み、涙をズバズバ流してきました。私が惹かれたのは、「誠実さ」です。登場人物はみんな真っ直ぐです。鬼を倒す人も、倒される鬼も、みんな自分の道をまっすぐに歩みます。妥協や懐柔などは入り込みません。作品そのものも誠実です。よくある「正義の味方は負けない」という展開はありません。鬼が強い分、正義の味方も容赦なく傷つき、命を落とす者も少なくないのです。このように誠実な作品だからこそ、感動し、大きな希望を感じることができるのでしょう。
イエス様も誠実に生きられました。神様の愛の道を、まっすぐに歩まれました。十字架と復活は、誠実さのしるしです。きっとイエス様は、宣教活動の初期から、御自分の十字架を覚悟しておられたことでしょう。このまま神様の愛に誠実に生きれば、世の権力者たちと衝突することは明らかだったからです。妥協し、懐柔策に乗れば、十字架は避けられたことでしょう。けれどもイエス様は、誠実さを崩されませんでした。だからこそ、ご復活の出来事があったのです。誠実な生き方は、十字架と、そして復活へとつながります。誠実に歩みましょう
京都聖マリア教会
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