イザヤ書35:4-7a
ヤコブの手紙 1:17-27
マルコによる福音書 7:31-37
イザヤ書35章に、次のように記されています。「見よ、あなたたちの神を。神は来て、あなたちを救われる。その時、見えない人の目が開き、聞こえない人の耳が開く。」神様が来られるとき、つまり神の国が実現するときには、障害のある人から障害がなくなる、と預言されています。
イエス様が耳が聞こえず舌の回らない人の、耳を開き、喋れるようにされた時、人々は、「この方のなさったことはすべて素晴らしい」と喜びました。この喜びは、個人的な喜びではなく、世界が救いに近づいていることの喜びでした。一人の人の救いは、世界の救いにつながっているのです。
私は神学生の時に、「日本山妙法寺」のお坊さんと知り合いになりました。お坊さんたちは、「宗教は、個人ではなく世界を救わねばならない」と考え、社会の様々な課題のある所に赴き、そこでお祈りすることを大切にされました。私もこの出会いに影響され、個人だけでなく世界の救いを祈り求めることを、より強く意識するようになりました。
神様は私たち一人一人を救い、世界を救われます。私の救いと世界の救いはつ
ながっています。私が救われるとき、世界は救いに近づきます。反対に、私が傷つく時、世界も傷つきます。私たち一人一人と世界とは、深くつながっているのです。けれども人間の罪は、私たちをバラバラにしようとします。私たちを孤立させ、孤独の苦しみに陥れようとします。私たちは罪に打ち勝ち、世界とのつながりを回復しなければなりません。一人一人がみんなの幸せを望み、世界全体で一人一人の幸せを実現するように努めなければなりません。
イエス様のご復活は、みんなが復活することのしるしです。イエス様がご復活されたことで、世界は永遠の命に近づきました。イエス様は私たちみんなを、永遠の命に導いてくださいます。世界の救いを祈り求め、愛の道を歩みましょう。