2021年9月19日日曜日

知恵の書1:16-2:1,12-22 ヤコブの手紙 3:16-4:6   マルコによる福音書 9:30-37

 


イエス様は言われました。「人の子は、人々の手に引き渡され、殺される。」イエス様は人々を救うために、この世に来られました。誰よりも人々を愛しておられます。そのイエス様が、愛する人々に殺されるというのです。何という不条理で辛いことでしょう。イエス様の愛は、全く報われない愛です。十字架は、報われない愛を示すものです。

 この言葉の後に、イエス様は二つの教えを宣べられます。「全ての人に仕えなさい」と「子どもを受け入れなさい」です。これらの教えを聞くと、私たちは優しく、温かい気持ちになります。けれどもこれらの教えには、もっと深い意味が含まれているように思います。それは、「見返りなしに愛しなさい」です。奉仕とは、労働に見合う見返りを求めずに行うものです。また子どもたちへの愛は、子どもがここに居てくれるだけで良い、という思いで行うもので、見返りを求めるものではありません。

 イエス様は何度も何度も、子どもを愛することを教えます。それは、愛とは、見返りを求めずに行うものだということを、私たちに教えるためなのでしょう。

 子どもへの愛は見返りを求めません。では、相手が何歳ぐらいになったら見返りを求めていいのでしょうか。赤ちゃんには、見返りを求めても無理です。では、幼稚園、小学生ぐらいになったら良いのでしょうか。もっと大きくなったらどうでしょう。「見返りを求めない」と「見返りを求めていい」との間に、区切りをつけるのは無理なようです。赤ちゃんに見返りを求めないのなら、成長した子どもにも、大人にも、お年寄りにも、見返りを求めずに愛するべきなのでしょう。

 私たちは、全ての人に、見返りを求めずに愛するのであり、その意味では、全ての愛は報われないものなのです。けれども、だからこそ、私たちは救われるのです。「人の子は、人々の手に引き渡され、殺される。」この言葉の後に、イエス様は言われました。「殺されて、三日の後に復活する。」報われない愛だからこそ、私たちの復活の永遠の命へと導き荒れるのです。

 見返りを求めず、愛の道を歩みましょう。