私は若い時、「神様のためなら殉教しても良い」と思っていました。これには、決定的に欠けているものがありました。それは、苦しみの実感です。頭の中だけで考えて、まるでファンタジーのように、迫害を受ける自分を想像していたにすぎないのです。実際の自分は、ほんのちょっとの苦しみに、耐えられずに逃げ出す人間でした。苦しみは、決して軽視してはいけません。どんなに小さなものでも、苦しみは苦しみです。その人にとっては、とても大きなものです。神様は、私たちが苦しむ時に共に居てくださり、苦しみの向こうに大きな喜びを用意してくださると、約束されます。その約束を信じて、私たちは苦しみの中を、少しずつ歩んでゆくのです。