ヘブライ人への手紙5:12-6:2、9-12
マルコによる福音書10:46-52
盲人だったバルティマイが救われる物語です。けれども、目が見えるようになったことについては、とっても短く記されています。詳しく描かれているのは、その前です。「盲人は上着を脱ぎ捨て、躍り上がってイエスの所に来た」と記されています。正に、救われた喜びを全身で表現している場面です。ではこれは、どのような場面かというと、人々が彼に「イエス様がお呼びだ」と伝えた場面です。「イエス様が自分の希望を聞いてくださる」と思った時が、彼の救われた時だったのです。ではその前はどのような状況だったかと言うと、彼はイエス様に向かって「私を憐れんでください」と大声で叫び、人々は彼を叱りつけて黙らせようとしていたのです。つまり、彼が希望を口にするのを、周りのみんなは許さなかったのです。盲人バルティマイは、それまでは希望を口にすることが許されませんでした。けれどもイエス様によって、自分の希望をはっきりと口にすることができたのです。それこそが、彼の救いだったのではないでしょうか。
私たちにとって、希望を語ることは、救いなのかもしれません。逆を考えると明らかです。希望を語ることが禁じられれば、私達は絶望してしまいます。希望を語ることは、単に口先だけのことではありません。希望を語れば、行動が生まれます。行動が生まれれば、世界が変わってゆきます。希望を語ることは、世界を平和へと導くことなのです。
希望を語っていきましょう。平和の希望を、正義の希望を語りましょう。私たち一人一人の、小さく見えるような希望も語っていきましょう。そして、信仰の希望を語りましょう。イエス様の十字架と復活は、私達の希望です。もっともっと語っていきましょう。