今やわたしは、あなたがたのために苦しむことを喜びとし、キリストの体である教会のために、キリストの苦しみの欠けたところを身をもって満たしています。(コロサイ1:24)
欠けを満たす。
アニメ『キャロル アンド チューズデイ』から今やわたしは、あなたがたのために苦しむことを喜びとし、キリストの体である教会のために、キリストの苦しみの欠けたところを身をもって満たしています。(コロサイ1:24) 数年前に放映されたアニメです。不意に見たくなって、録画を引っ張り出してきました。 二人の少女が出会い、一緒に音楽を作っていく物語です。彼女たちの歌に、多くの人々の心が動かされ、世界が変わっていきます。 「音楽をアニメで表現する」ことを目的に作られたと、何かの記事で読みました。登場人物のイメージに合った、本物の歌手を用いていること、アルバムを二枚も出すほどのオリジナル曲を作っていることなどに、その意気込みが感じられます。大変美しく、繊細で、そして心が励まされる作品です。 特にこの作品は、音楽が私たちの心に与えてくれる力を表現しているように感じます。それは、「欠けを満たす」です。主人公たちは、心に欠けた部分を持っています。一人は、裕福だけれども周囲の人々になじめず、家族からも理解されませんでした。もう一人は家族を失い、難民となり、孤独な生活を送ってきました。そのような二人が出会ったとき、音楽を通して、お互いの心が深く満たされ、慰めと喜びを得たのです。そして二人が紡ぎ出す音楽が、多くの人々の心の欠けを満たしてゆくのです。 私たちはみんな、自分の中に「何かが足りない」「何かが欠けている」という感覚を持っています。それは漠然とした印象であることもれば、自分の大切なものが奪い取られるという厳しい経験であることもあります。私たちは自分の欠けを満たそうとしますが、なかなか満たされず、苦しみます。神様の救いとは、「欠けを満たす」事なのかもしれません。私たちの欠けたところを、愛で満たしてくださるのが、神様の救いの御業なのかもしれません。 けれどもそれでも、私たちは神様の愛を実感できず、苦しむ時があります。そのような時に必要なのは、私達人間による、愛の奉仕です。互いに支え合い、助け合い、気持ちを聞きあい、寄り添うことで、神様の愛を感じられるようにするのです。 イエス様は十字架によって、私たちの欠けたところを満たし、復活によって、新たに歩みだす力を与えてくださいました。自らの欠けに苦しんでいるときには、なかなかイエス様の愛に気づけないかもしれません。けれども神様は、必ず私たちと共に居てくださり、私たちを満たしてくださっているのです。