2022年2月7日月曜日

今やわたしは、あなたがたのために苦しむことを喜びとし、キリストの体である教会のために、キリストの苦しみの欠けたところを身をもって満たしています。(コロサイ1:24)

 欠けを満す。


アニメ『キャロル アンド チューズデイ』から


今やわしは、あなめに苦しむことを喜びとし、キリストの体である教会のめに、キリストの苦しみの欠けところを身をもって満しています。(コロサイ1:24)

 数年前に放映されアニメです。不意に見くなって、録画を引っ張り出してきまし
 二人の少女が出会い、一緒に音楽を作っていく物語です。彼女ちの歌に、多くの人々の心が動かされ、世界が変わっていきます。
 「音楽をアニメで表現する」ことを目的に作られと、何かの記事で読みまし。登場人物のイメージに合っ本物の歌手を用いていること、アルバムを二枚も出すほどのオリジナル曲を作っていることなどに、その意気込みが感じられます。大変美しく、繊細で、そして心が励まされる作品です。
 特にこの作品は、音楽が私ちの心に与えてくれる力を表現しているように感じます。それは、「欠けを満す」です。主人公ちは、心に欠け部分を持っています。一人は、裕福だけれども周囲の人々になじめず、家族からも理解されませんでし。もう一人は家族を失い、難民となり、孤独な生活を送ってきましそのような二人が出会っとき、音楽を通して、お互いの心が深く満され、慰めと喜びを得のです。そして二人が紡ぎ出す音楽が、多くの人々の心の欠けを満してゆくのです。
 私ちはみんな、自分の中に「何かが足りない」「何かが欠けている」という感覚を持っています。それは漠然とし印象であることもれば、自分の大切なものが奪い取られるという厳しい経験であることもあります。私ちは自分の欠けを満そうとしますが、なかなか満されず、苦しみます。神様の救いとは、「欠けを満す」事なのかもしれません。私ちの欠けところを、愛で満してくださるのが、神様の救いの御業なのかもしれません。
 けれどもそれでも、私ちは神様の愛を実感できず、苦しむ時があります。そのような時に必要なのは、私達人間による、愛の奉仕です。互いに支え合い、助け合い、気持ちを聞きあい、寄り添うことで、神様の愛を感じられるようにするのです。
 イエス様は十字架によって、私ちの欠けところを満し、復活によって、新に歩みだす力を与えてくださいまし自らの欠けに苦しんでいるときには、なかなかイエス様の愛に気づけないかもしれません。けれども神様は、必ず私ちと共に居てくださり、ちを満してくださっているのです。