2022年4月10日日曜日

イザヤ書45:21-25   フィリピの信徒への手紙 2:5-11   ルカによる福音書23:1-49

イエス様は語り掛ける。

   イザヤ書45:21-25

  フィリピの信徒への手紙 2:5-11

  ルカによる福音書23:1-49



 本日は、復活前主日です。福音書の内容は、イエス様の受難の様子です。今日は、この福音書をじっくりと読んで、黙想したいと思います。この福音書の箇所を、各自で黙読してください。そして、今、自分がこの場面の中に居ると思って黙想してください。今、目の前に十字架がある、今、自分の耳にイエス様の声が聞こえてくる、そう思って、黙想してください。十字架は、単なる客観的事実ではありません。私達一人一人の救いの出来事です。十字架は決して「人ごと」ではありません。私たちの魂に直接関わる出来事なのです。何かの言葉で説明して、それで納得したような気分になるのではなく、自分がその場に居て、直接十字架を目撃しているつもりで、黙想しましょう。

 ただ、一言だけ、黙想の手引きとしてお話しします。

 本日の福音書を読んでいると、イエス様が、最後まで人々に語り掛けておられることに気付きます。厳しい尋問を受けているときも、重い十字架を運んでいるときも、誰かに語り掛けておられます。きっとイエス様はその時、人々と語り合う体力は残されていなかったでしょう。イエス様は最後の力を振り絞って、人々に語り掛けられるのです。それほどイエス様は、私たちとの対話を大切にされるのです。イエス様と私たちの間で、語り掛け、耳を傾け、相手の言葉に応えるという、この対話が、救いに決定的に大切なのだと、イエス様は私たちに教えてくださっているのです。

 イエス様は、今、この時に、私達一人一人に語り掛けてくださっています。イエス様は、この私に、なんと語り掛けてくださっているのでしょうか。そのことを思いながら、黙想しましょう。