使徒言行録13:44-52
ヨハネの黙示録 19:1、4-9
ヨハネによる福音書13:31-35
イエス様は言われました。「今や人の子は栄光を受けた。」この栄光とは、復活の栄光です。けれどもこの言葉が語られたのは、十字架の前の日の晩です。イエス様は、まだ復活したどころか、十字架にも掛かっておられません。この時、イエス様がなさったのは、十字架の覚悟でした。
復活の栄光は、イエス様が本当に復活した時だけではなく、イエス様が十字架を覚悟をした時にはじまりました。もしかしたら、こう言えるのかもしれません。神様の救いは、結果ではなく、私たちが神様の愛の道を、歩みだした時に始まると。
確かにそうかもしれません。大事なことは、結果ではなく、始めることなのかもしれません。結果は誰にも分からないのです。私たちが誰かを愛するとき、その人が愛にふさわしい生涯を送るのかは誰も分かりません。私たちが平和を願い祈る時、ほんとに地上に平和が実現するのかどうかは、誰も分かりません。結果は誰にも分かりません。けれども、私たちが始めなければ、私たちが願う結果は決して得られないのです。私たちが愛し始めなければ、私たちが平和を求め始めなければ、決して愛や平和は実現しないのです。
結果は誰にも分かりません。でも、私たちの祈りは必ず実現します。なぜなら、聖書がそのように約束しているからです。信仰者の祈りは聞かれ、愛の奉仕は報われ、正しい裁きが行われる時が、必ず来ると、聖書は力強く宣言しています。完全にすべてが実現するとき、それが神の国の訪れです。私たちが主の祈りを始め、日々の祈りの中で願い求めている神の国は、必ずやってきます。
希望をもって、平和を願い祈り、愛の道を歩みましょう