2021年4月28日水曜日

私は自分のしていることが分かりません。自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることをするからです。・・・それをしているのは、もはや私ではなく、私の中に住んでいる罪なのです。 (ローマ7・15~20)

訳の分からないもの。


トリガー制作『キルラキル』から


私は自分のしていることが分かりません。自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることをするからです。・・・それをしているのは、もはや私ではなく、私の中に住んでいる罪なのです。
(ローマ7・15-20)

 数年前に放映されたアニメ作品です。久しぶりに見たくなって鑑賞しました。荒んだ生活をしていた少女がたどり着いたのは、巨大な学園都市。そこでは生徒会長が絶対的な権力を持ち、特殊な力を持つ「制服」を使って生徒を支配していた。少女は会長との戦いの中で、思いもしなかった秘密に導かれていく・・。
 アニメ制作が派手な演出で有名なプロダクションです、拳一発で周りが吹き飛び、剣の一閃で何百人もが薙ぎ払われます。その上登場人物も「昭和」の「任侠モノ」のような、外連味たっぷりの立ち居振る舞いです。ハチャメチャぶりが、面白くて仕方ありません。
 主人公も会長も、自分の「正義」に基づき、自分の「使命」のみに忠実な人物です。しかし彼らの周りには、有象無象の人々が絡み合います。彼らは主人公たちを慕ってはいるのですが、いつも焦点はズレていて、そのくせ体力だけは妙にあるので、結局状況を混乱させ、主人公たちの邪魔をすることになるのです。ハチャメチャな行動に、主人公たちは戸惑いながら、けれども最終的には、この「訳の分からなさ」に救われていることに気づきます。ストイックな生き方から漏れ落ちていた優しさや自分の命大切さ、「誰かを守りたい」という気持ちや誰かと一緒に居る喜びを、この訳の分からなさから得ていたのでした。
 高度に発展したこの社会において、私たちは「合理的」に生きている、と思っています。けれども私たちの中にも、「訳の分からないもの」が一杯あります。例えば、私たちの「心」は、自分で完全にはコントロールできません。時には様々な思いが渦巻き、振り回されるときもあります。けれども、私たちは心を捨ててしまおうとは思いせん。心は人間に必要不可欠だからです。私たちは、自分が思っている以上に、訳の分からないものと共に生きているのです。きっと神様がそのように人間をお造りになったのでしょう。非合理的なものの中に真理を潜ませ、なかな真っ直ぐに進まない人生の中に、豊かなお恵みを用意して下さっているのでしょう。イエス様は、人間の訳の分からなさを、十字架によって、永遠の命につながる良いものに変えてくださいました。訳が分からないからこそ、人生は素敵なのかもしれません。