2021年10月3日日曜日

「人の子は、人々の手に引き渡され、殺される。殺されて三日の後に復活する。」・・・弟子たちはこの言葉が分からなかったが、怖くて尋ねられなかった。(マルコ九・三一-三二)

静かな十字架

カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』から

「人の子は、人々の手に引き渡され、殺される。殺されて三日の後に復活する。」・・・弟子たちはこの言葉が分からなかったが、怖くて尋ねられなかった。(マルコ9:31~32)

 ノーベル賞受賞作家の作品です。映画かもされ、日本でも舞台化、テレビドラマ化されました。以前から関心があったのですが、信徒の方から貸していただき、読んでみました。
 大変美しい作品でした。主人公の独白の形で物語が進みます。描かれているのは、現代に生きる人々の、幼少期から大人までの姿です。みんな懸命に生きています。全寮制の学校の中での成長、青年期の共同生活での葛藤、そして社会に出てからの孤独ともがき、そして愛する者の死・・・。誰もが経験するような物語でありながら、決してそうではない仕掛けがあります。それは、「提供者」の存在です。この世界は、「提供者」たちの命を犠牲にすることによって成り立っている世界なのです。つまりは、私たちとは違う世界の物語、いうなればSF物語です。けれども、「空想の世界」とは言い難い、リアルさ、身近さがあります。現実には存在しない世界の中で、誰もが持っている魂が生きている、そのような作品です。
 読む人によって、様々な面が輝きだす作品だと思います。人々の感情の機微に涙する人、物語の展開に驚き引き込まれる人、湿った空気まで感じるような状況描写に魅了される人、作者の想像力の豊かさに浸る人、等々。
 私の読了感は、「十字架」でした。一部の人びとを犠牲にして回る世界、これはまさしく、十字架を中心に据えた世界です。けれどもこの十字架は、あまりに静かです。犠牲を強いる大多数の人びとも、犠牲を強いられる人々も、この状況の不条理さを通り過ぎているのです。怒りも悲しみも蓋をされ、理性的で抑制された感情だけが顔を出しています。これは何が原因でしょうか。罪を当たり前とする「教育」でしょうか、多数の利益に貢献することを強いる「圧力」でしょうか、それらすべてかもしれません。そしてこれは、必ずしも、空想の世界の出来事ではないのかもしれません。今、私たちが生活している、このリアルな世界も、誰も気づかず気づかせず、大きな蓋で隠された、静かな十字架が、中心に据えられているのかもしれません。十字架が隠された世界は、不安と絶望感に覆われた世界です。十字架をあらわにし、犠牲を強いられている人々を解放し、罪に向き合い正義を貫き、愛に満ちた社会を創り出すときに、私たちは希望と喜びに満たされるのです。